マイエラに燃ゆる 8
カツン、と繰り返す硬い足音を知っていた。けれど知らぬふりをしてエイトのそばに寄り、その指にくちづけていた。
扉の前で止まった足音は、中の気配をうかがっている。この部屋に来るには気が引けるとでも言うのだろうか、求めて傍に置いておいたエイトがいて、でも拒絶して遠ざけてしまいたいククールがいて。
「馬鹿だな…」
呟いたこの言葉は聞こえただろうか、なんて聞こえただろうか。やどる意味なんて、計り知れなくてすべては推測しか出来ないだろうに、――――ひくりとうごめいた気配は、こちらの出方を待っているような気がした。
もうずっと変わらないこの部屋割りは、遠く子供の頃からのものだった。小さな子供ふたりに与えるには広すぎるこの部屋は、本当はマルチェロと三人のためのものだった。少なくとも、院長はそれを望んでいた。
嫌だ・と。それだけは頷きたくない、と。頑なに拒んで部屋に帰らぬマルチェロに、遂に折れてしまった院長はきっと、誰よりもマルチェロを可愛がっていたのだ。
それでいいと思う、そうされることが自然だったと思うくらい、ククールが現れるまでの彼は素直で優しく勤勉な僧侶のたまごだったのだと伝え聞く。
そんなマルチェロを変えてしまったのが自分なら。また変わるときの起因となるのも、と願ってしまうのだ。
相容れぬ反発から混ざり合うことの出来ない自分たちでも、その間にエイトがいるのだから、混ざり合うことが出来ないなりにまとめて変化して新しいものができるのでは、と思いたいのだ。エイトが、さんにんがいいと、言うのだから。
「なあエイト。聞いて欲しいことがあるんだ」
「……なに?」
扉の前にいることを知りながら、あたかも知らないふりをして、心を告げることを卑怯だとは思わない。それは、目の前にしたら言葉に出来ない思いだから。そして、決して聞き入れてもらうことも出来ない話。
「オレはな、今でもあいつを―――、兄貴を、兄貴なんだと思ってる」
どうか、どうか。
「あいつに、家族と認めて欲しいと、思ってる」
ずっと、ずっとだ。手を振り払われたあの瞬間、断ち切れぬものはだらりとぶら下がったままでいる。だらしなく引きずって、いっそ捨ててしまえば楽になれたかもしれないのにそれをしない。心にずっと未練があった、それを捨ててしまったら、もう二度とあたたかいものを得られないような気がした。
いつかは。そう思うことが、そう期待してここにとどまることが、――――――酷く苦しめて、苦しんで。それでも。
「どんなにか切望したものを、易々と手にするお前が憎かった」
でも愛していた。
そっと包んだエイトの手を額にもっていく。まるで懺悔するように、神聖なものを目の前にした気分だった。愚か者は告白することで許しを乞うて、ああでもエイトは神ではないのに、それでもエイトに許されたならすべてに許されたような気になってしまうのはどうしてだろうか。自らが持ち得ないひかりを、エイトの中に感じるから?そうして固まった心が、ほぐされていくから?ククールも、マルチェロも。
憎しみに憎しみを返さなければいけないなんて、誰が決めたんだろうか。ただ憎まれるには悲しくて、受け止めてそれ以上に愛すことなんて、できない。立ち回って遠回りして、それでもずっと自分だけが大切だなんて悲しいから、蓋をしていたんだろうか。
理解して欲しいなんて思わないけれど、知っていて欲しいと、思うんだ。
「きっと、命をかけられる」
「うん…そして。オレと生きてよ」
ふたりで命をかけようと、大切なもののために命をかけようと、掌に誓って、小さく笑った。
扉の外で彼は一体どんな顔をしているだろうか、とても複雑な顔をしているだろうか。――――きっと苦虫を噛み潰したようなしかめっ面で、複雑な心境は欠片ほども顔に表さないんだろうけれど。
「悪ぃ」
思いのたけをすべて言葉にして、心はひどく軽かった。けれどその後のことはなにも考えてはいなくて、ただ知って欲しかったとは思っていたけれど、それで今すぐにどうこうなんていうことは無理だった。
きっと、まだ不器用に立ち回ることしか出来ない。ならば必要なものは時間、なのだと思いたいから。それでもダメだったら、またなにか考えるしかないのだから。
かろうじて上げた口端は、引きつって見えてしまったのかもしれない。複雑なのは同じだったらいい、と思いながらククールは窓から外へ飛び出した。
外へ抜け出す術が、こんなところにまで役に立った。なんて苦笑いをして、ひやりと冷たい外気に肩を震わせた。
表裏一体の愛憎を、繰り返し繰り返したと思える今ならば、もしかしたら・と考えてしまうのだ。それは願いにも似たものだとは思うけれど。
「情けねぇ」
いたたまれなくて逃げ出して、間にいるエイトにすべてを任せたんだ、また。
いつか、いつかは。きっと。そう思う願いが夢幻ではなくなるように・と。
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2006/3/16 ナミコ