マイエラに燃ゆる 9






 ククールが窓から出て行ったあと、ゆっくり控えめに鳴ったノックにエイトは逡巡した。いつからいたのか、それとも来た事を悟ったからククールは出て行ったのか。
 どうぞ・と掠れ声で呟けば、表情の読めない男はトレイに器をひとつのせて入ってきた。誰かに持ってこさせるといいながら、結局は自分で持ってきてしまったのか。

「薬湯を持ってきた」
「わざわざ貴方が持ってくるなんて、他の者への示しがつきませんよ?」

 くす・とひとつ笑って。それでもその気遣いが嬉しいのだと、染み入るように思いながら器を手にした。ひとつ、口つけて飲み下せば独特の苦味が広がって、眉を顰めさせたけれどエイトはすぐに溜飲した。

「優しいンですね」
「……私は団長として当たり前のことをしているだけだ」
「そうですか」

 それを照れ隠しの嘘と、捉えるにはどれほどの時間がかかったか、わからない。この人も、とても不器用な人なんだな、と思ってまた、ホロ・と笑みが零れた。
(……ぬるい)



「ああ、苦かった」
 この味は好きじゃないんです・と器を返して笑う。窺い知れない顔色を探るように、いつだって気にしていた。この人からは嫌われたくない、愛想を尽かされたくない、好きでいて欲しい・と思ってしまっているのだ。
 決して一緒に生きようとは思わないのに、常に傍に居て欲しいと、家族であって欲しいと、そう。

「良薬口に苦しと言うだろう。さあ、今日はもう大人しく寝ろ」

 開け放たれてそのまま、ひらりとカーテンが風に舞う窓を閉めにいくマルチェロの背中を見て、やっぱり似ている、と思うのだ。髪の色、目の色、まったくそれは異なっているけれど、ふとしたしぐさや声質。ふたりとも、どこまでも自分に優しくて、厳しい。

「寝る前に、ひとつだけ。聞いてもいいですか?」
「なんだ」

 優しく目は細められてこちらを見る。深い翠の目はランプの炎をうつして煌いていた。

「話を、聞いていましたか?」
「…………いつのことだ?」

 いいえ・とエイトは反射的に答えた。わからないのならいいのです・とマルチェロを見る。分かってるのだろうに、とも思いながら。

「もしも聞いていたのなら、心に留めておいて欲しいと・思ったものですから」
 でも聞いていなかったのなら、しようがありませんね。

 マルチェロはとても複雑そうな顔をして、否、複雑そうに歪む顔をまるでわけがわからないというような顔に仕立て上げて一言「そうだな」・と呟いた。
 聞いていたんだな・と思う心は確信に。どこまでも優しい癖に、どこまでも意地が悪い。自尊心、というものがなによりも強いだけなのかもしれない。屈服するくらいなら、自ら願って服従した方がいいと思う人だから。

「…貴方のことを、とても大切に思っています」
「……………」

 シャ・と。強くカーテンの引かれる音が声を掻き消した。冷たい外気は遮断されても、まだ残る冷たさがひたひたと肌に残っている。寒さにシーツを手繰り寄せて、子供のように顔まで引き上げて隠れさす。口ごもる様を見られたくなかった、遠まわしに伝えようとする癖に、ありのままを口に出来ないもどかしさのような。

「子供みたいな仕草をする…」

 ふいに、緩んだような声がかぶさってシーツと、手を、払いのけた。ギシ・とベッドのスプリングを軋ませ、頬からするりと指を髪に絡ませた。
 キス、される。
 そう思ったのだけれど。

「…早く、復帰したまえ」

 軽く撫ぜられただけで離れていった手に、少しの物足りなさと、溢れんほどの安堵を感じた。そして胸に残ったのは幸せだったのだから、やっぱり・とエイトは微笑んだ。
「勿論です。………苦い薬を飲みましたから」

 それは苦くてぬるくて、誤魔化しようのない酷いものだった。飲み込むか、吐き出すか、どちらが楽かと考えているよりも、さっさと決断してどちらかに絞ってしまった方が楽なのに、舌の上で転がしたまま、酷い味を含んだまま、迷っていた。思えばそこにあったのは苦楽だけではなく、さまざまなものもあったなあ・と、思うのだ。躊躇っていた薬を飲み込めば、たちまち身体に浸透して、それはよくないものでなんか、決してないのに。

「きっと、よくなります」

 呟いた、心はとても清々しかった。
 だからどうか、その苦虫を噛み潰したような顔を、持ち直してください、と。祈る。
 神ではなく、ただ、彼・という人に。

 祈る。












2006/3/16 ナミコ