デイジーを胸にカナリアは






「真正面にあるのがお城、右の階段を上ったところにあるのが大臣の家、その下が手前から宿屋、武器屋、お城の左となりは聖堂―――今はバザー用に貸しているけど。その隣が教会」
「へえ」
指し示すそれらに淡々とした声を連ねる。当たり前だ、だって本当になんともない、ただの店や城を指し示しただけなのだから。
「後は何にもないよ、サザンビーク国領って広いくせして街はここだけだし」
と、いうか。
じろりとエイトはククールに目を向ける。なんとなく承諾してしまったくせに、疑いは後から後からとめどなく起こるものだ。
「バザーに来たの?」
「ん?あー…まあな、珍しいものが各地から来るって聞いてたしな」
「ふうん」
そっけない口ぶりに、ククールは面食らったようにして、それから苦笑した。
「オレが怪しいやつだって思ってる?」
「まあね」
「はは、ハッキリ言うもんだな」
まいったまいったと言うククールは、それでもエイトの言葉に全然動じていない。それどころかむしろそんなエイトの反応を面白がるようにところもあったので、エイトの胸のうちは少なからずの不機嫌さが占めていった。
しかしそれも束の間のこと。
「これなんだかわかるか?」と、ククールはおもむろに皮の手袋を外し、その素手の指から指輪を抜き取るとエイトの目の前につきつけて見せた。
「聖印…ってあんた聖職者!?」
「聖職者っつか…騎士団員って知ってるよな。オレはマイエラの騎士団員のククール。ちょっと探しものがあってさ」
エイトはへえ、と感嘆の声をあげた。
目の前に出された指輪を手にしたエイトはそれを指の腹でなぞったり、裏返して見たりして検証した。それが本物かを確かめる…といっても本物を見たことのないエイトが見極めることなんかできるはずがないのだけど、それはまあ気分というものだ。
指でなぞった指輪はしっとりと肌に馴染み、独特の重さを持っていた。おそらくこれは純銀でできているだろう。彫りこまれていた細工はサザンビークにもある教会に施されていたものとまごうことなく同じものであった。
騎士団の一員であるには少し軽薄すぎるような気もしたが、しかしこのククールと名乗る男からかすかに漏れ出すオーラのような雰囲気は確かに聖なる呪文を操ることのできるものが持つものであった。
教会の神父と似たような、しかし注意していなければ気がつかないほどにかすかな、そして目には見えない雰囲気じみたものだったけれども。

「探しものって?」
「大切なものさ」
にっこりとククールは笑った。よく笑う男だ、とエイトは思った(そういえばなんでこの男はこんなにもよく笑うのだろうか)。
しかし今のククールは笑っているのにもかかわらず、お茶を濁すような、そして本質には決して触れさせないとでも言うように笑っていた。
「それがここにあるの?」
「あるかもしれないし、ないかもしれない」
「曖昧…」
呆れたように呟けば、ククールはさらに笑ましてみせるだけだ。
変な男。そんな思いを込めて見た視線の意味を、ククールは気付いただろうか。もっともエイトにとってはそんなこと、少なくともこの瞬間はどうでもいいことだった。

「それよりとっととバザーに行こうぜ」
「え、わっ、えっ!?」
ククールはエイトの手を取り緩やかに歩きだした。
変だ、おかしい。こんなものは紳士的ではない。クラビウス王がエイトにそうしたような、そんな態度ではなく、むしろさきほどのチャゴスに近いものがあった、それにちがいないのに不思議なことにエイトは不快感も嫌悪感も感じなかった。
チャゴスには同じことされたら、嫌で、腹が立って、しょうがなかったというのに。

「そーいえば、君の名前聞いてなかった」
「え?…ああ、私、エイ…」
エイト、と言おうとしたところでエイトは言葉を止めた。人のあふれる街中、しかもいくらこの街にはじめてきた人間とはいえ、いつ正体がばれるとも限らないし、そもそもエイトは一応これでもお忍びで街にでているのだ。
口を引き結んでエイトは言葉を静かにストップさせた。
「えい…なに?聞こえなかった」
「エイミ!」

「…エイミ、か」
ぽつりとククールが呟いた。
エイトは固く口を結んで俯いたまま足を動かす。嘘をつくのはいつだって慣れることなどない。それでもせいいっぱい通常の自分に近づけるように決め込んで顔を上げる。
聖堂は目の前まで見えていた。
ほっと安堵の息をつき、エイトは指をさした。そちらに気を取られていってくれたククールの横顔を見ながら、エイトはひとつ、ため息をついた。





バザーはここでやっている、などという説明を施すことができたのなんか本当に最初の方で、聖堂の入り口に立った数十秒くらいだったんじゃないだろうか。
だってエイトはバザーに来たのは初めてなのだ。国交にしろ公事にしろ、とにかく外に出るときはいつも誰かが一緒だった。それもそれが家族だとか友人とか、そういうのではない。護衛と名目した兵士達がいつもそこにいた。自由に歩き回ることなどままならなかった。生まれてからずっとこの国にいたくせに、エイトは街のこともこの国に暮らす民のことも、なにも知らない。けれどこの間はじめて街にでかけたあのとき、自分のいる国の一面をやっと見て少しばかりだけれども触れることができた。そしてサザンビークで暮らしているという実感を、あの日エイトは手に入れた。

テーブルの上所狭しと並べられたさまざまな商品は、キラキラ輝くような魅力を放っていた。エイトにとってそれが何に使うものだとか、なんのためのものだとか、よくわからないからこそ輝きは果てしなく大きかったのだろう。知的好奇心は未知の魅力を最大限に輝かせる。

「こしょうがそんなに珍しいかい?」
「こしょう?」
小さなガラス瓶に丁寧におさめられた黒い粒をあんまり真剣に興味深く見ていたものだから、その店の店主はにこにこ笑ってエイトに説明を始めた。
こしょうってのは――― ぱちぱち弾けるようなときめきや喜びがエイトの胸を躍らせる。エイトは遠くからやってきた店主の、これまた遠くからやってきたこしょうという黒い小粒の話を聞くのだ。
まだ知らぬ土地、そこからやってきたこの小さな小粒は自分よりも遥かに大きい道のりを超えてここにやってきたという。

「すごぉい」
それはまるで子供のような声だった。でもそうなってしまうくらい胸をときめかせるものが、この小粒にはぎゅうっと詰まっていたのだ。
ありがとうとエイトが笑うと、店主はとびっきり嬉しそうな顔して「お嬢ちゃんは可愛いから」と小瓶に入ったこしょうをひとつぶ、袋に入れてもたしてくれた。
はじめて実物を見たとはいえ、こしょう一粒黄金ひとつとうたわれる時代があったことは知らないわけではないので、エイトは慌ててそれを返そうとしたが、店主はいやいや、だめだめの一点張りで結局エイトはありがたくこしょうをもらうことになったのだ。

「なにやってたんだ?」
「えーっと、こしょうの話を聞いてたら、もらっちゃった」
「へーえ」よかったね、とククールは笑った。
「貴方は探しものみつかったの?」
「うーん、まあまあかな」と小さく笑うククールに、エイトは反射的にどうしてと聞いていた。
ククールは持っていた袋から一枚の葉を取り出し、それをエイトに見せる。つやつや瑞々しい緑の葉は、それだけでなにか普通の葉とは違う雰囲気を持っていた。一種の神々しさに似た、誰も踏み入れることのできない不可侵な奇跡的な力を持った輝きに、エイトは一瞬目を奪われた。
「世界樹の葉って言ってな、どんな怪我も病もたちどころに治す奇跡の葉だと言われている」
本当はもう少し欲しかったんだけど、といいごもって苦笑しながらククールは残念そうに「一枚しか売ってくれないんだ」と言った。

「なあんだ、そんなこと」
ちょっとまっててとエイトはククールをおいて、その世界樹の葉とやらを売っている露店へと歩いた。
小さな子供みたいな子が(多分実際子供なんだろうけど)テーブルに葉を置いて売っている様はなんとなくままごとのような気がして本当にそんな効果があるのかもどうか疑わしい気持ちになったけれど、やはり葉から出る輝きというのはまごうことなきものだろう。城の宝物庫に眠っている不思議な鏡と似ていた。
「ねえこれいくら?」
「一枚1000ゴールド。でもひとり一枚だよ」
頂戴、と1000ゴールドを手渡し、葉を受け取るとすぐにエイトはククールの元へ戻った。

「ほら、これでいいんでしょ」
それともまだ足りない?と聞き返すエイトに、ククールはぽかんと開けていた口を閉じ、「いいや、ありがとな」と嬉しそうに笑い、世界樹の葉を受け取った。

「お礼になんか買ってやるよ」
ひどく上機嫌のククールはエイトの手を取りアクセサリーを広げている店の前へ行く。
「ええ!?いい、いいってば!!」
「人の好意は素直に受け取れって、ああこれなんかどうだ。シンプルだけどエイミには似合いそうだ」
そういってククールは手にした金の指輪をエイトに見せた。露店のお姉さんはエイトとククールに「恋人ですか」と聞きながらあれこれ指輪を差し出してきた。恋人、という言葉にエイトの頬は赤をさした。ククールは否定もしない、それどころかまるでそうだとでも言わんばかりにエイトをひきよせその指に指輪をあてがい品定めをしていった。
「似合うとか、似合わないじゃ…」
そのときエイトの言葉をさえぎる様に聖堂の鐘が鳴った。定刻の鐘、夕方から宵にかけてのもの。
と思ったところでエイトはハッと気付いた。宵になってしまえば、城の門は閉められてしまう、と。

「私もう帰らなきゃ!!!」
「もう帰るのか」
残念だと言いながら、ククールはエイトを止めようとはしない。さっぱりした男だ、と思う。よかったと思う心のどこか片隅、ぽつんと雫が落ちるように物足りなさを感じて、いいやとエイトは頭を振る。さっぱりしてなかったらエイトは困ったことになっていのだ。なにを、馬鹿な。

「エイミ」
駆け出していこうとするエイトの手を取り、ククールはエイトを呼ぶ。教えた偽名で。その妙な違和感に耐えつつエイトは振り向く。
「あんたはこの街のどこかにいるんだろう?」
「そりゃあね」
ククールはエイトの頬にくちづけをおくり、それから手の甲にもキスをした。「今日の礼は、また今度」とにやりと笑う。今日一日見たククールの笑いかたどれとも違う不適な笑みで。
それがきっかけだったかのようにエイトの頬は一気茹で上がり真っ赤に染まった。それを取り払うようにエイトは掌を強く握り締めた。
なんでこんなことを、と思ったところでしょうがなく、エイトは疑問も染め上がった頬もなにもかもを通り過ぎるようにその場所に忘れおくことにして駆け出した。さっさと城に帰らなくてはいけない、王や大臣に見つかったらただではすまないから。怒られるならまだしも、泣かれたりするのだけは本当にこっちのほうがつらいのだ。

表門はとうに閉まっている、裏門に向かわなくてはとエイトはただもうひたすら走った。

慌てて裏門から滑り込んだエイトは見咎められることなく無事城へと戻ることができた。それどころか兵士はバザーは楽しんでこられましたか、などと笑いかけてくれる始末だ、日ごろの行いがいいというのだろうか、ほぼ初めてといえるエイトのお忍びというのはどうやらほほえましく思えるものらしい。少し複雑な気持ちになりながらも見咎められるくらいならと、エイトも微笑み返して自室へ引きあげた。





その夜エイトは起きた出来事を反芻して思い浮かべた。
この国で、そして城で生きる限り二度とあるかないかのような体験だったといっても過言ではないだろう、きっと。
人には生きる世界というものがある、生まれた家並みの、生きる国の中での、世界というものが生まれた瞬間から定義づけられ変わることがないのだ、一部の、勇気ある人間をのぞいては。

父は、どうだったのだろうと、思う。

幼い頃から時々思い出すように口に出された叔父上の言葉をひとつ残らず覚えている。エイトが父を知るにはそれしか方法がなかった。国のものが口にする父の姿、性格、そしてそれ以上に兄弟であった叔父上はこの国の誰よりも父を知っているから。

それでも母親のことは叔父上でさえ知らなかった。
父は母のことを生涯口にせず、そして一緒に棺に持っていったのだろう。この、指輪だけ残して。

キラリと光るアルゴンリングはサザンビーク王家男児の成人の証、そしてそれをリングにあしらい結婚の誓いと立てるというのだから、これもまた母の指に納まっていたのかもしれない。しかしそれもすべては憶測の域をでない。

母は誰だったのか、父と母はどこで出会ったのか、本当に愛し合っていたのか、それならばなぜ、指輪は父の手元に戻ってきていたのか、…どうして私はここにいるのか、とか。

物心ついたときから父はおらず、母もおらず、本当は寂しかった。
兄の娘というだけでここまで育ててくれた叔父上に感謝の気持ちはつきない、けれどそれでもどうしようもなく、眉を寄せ涙を流したくなるときがあるのだ。

違うのだと。