スタンドバイミーを手に 2






 リーザス村のゼシカさんはとてもきれいな人だった。って言ったら、色気づいてんじゃねえってトムさんに小突かれた。トムさんは豪快な身体おんなじで、人柄もとても豪快で気持ちいいんだけどさ、まったく。
「オレは子供なんだから手加減してくんなきゃ飛ばされちゃうじゃん」
 小突かれついでにイスから半分ずり落ちた身体をよいしょと戻す。わりぃ、とバツの悪そうな顔にオレはにいって白い歯見せて今度から気をつけてよとオレンジジュースを催促した。
「ミルク飲め。ミルク」
「えぇー?赤ン坊じゃないんだからさー」
 不平不満を口に出せども出てきたのはコップ一杯のミルク、白い液体、牛乳の乳!!そのまま飲むのはあんまり好きじゃないんだけどなぁ、なんていってもすっかり無視を決め込んだトムさんはそ知らぬ顔でグラスを拭いている。ちぇ、この間珍しく母さんも一緒にここに来たと思ったら、嫌なこというんだもんなあ。春に測った背の丈の柱の傷はなんと、絶不調。なんてさ、別に伸び悩みとかじゃないでしょ、男なんだしそのうちぐぐーっと伸びるって!だから無理してあんまり好きではないものとか飲ませないで下さい…と進言するもあえなく却下の道を辿る。

「ちぇ、みんな意地悪なんだから」
 ぐぐ、とミルクを飲み込んでいく。飲めないわけじゃないけど、あんまり好きじゃないミルク。だってこれは子供の飲み物なんだぜ!
「ゼシカさんはなんも教えてくんないし、トムさんなんて小突くはミルク出すはでサイアクー」
「白ひげつけて何いってんだ」
「うるさいなあ、もう」
 唇の上についたミルクの後を手の甲でぬぐってトムさんを見る。オレなんて、まだまだ子供ってのが母さんやトムさんやゼシカさんの見解なんだろう。みんなが思うほど、子供じゃないのに。
 エイトが黙ってる以上、私が言っていい事じゃない筈よ。ときりりと言い放った意志の強いあの人。ゼシカさんの言葉を曲げるなんてできないと思った。ゼシカさんは母さんのことを大切に思っているんだろう、今も昔も変わらず。だってオレが何者かを知った、あの時の顔。嬉しさと怒りが混濁したような、複雑な―――。

「母さんは、ゼシカさんにも会いたくないのかな」
「…なんだ、いきなり」
「いきなりじゃない、ずっと考えてたんだ。だって母さんはみんなから好かれてんだ、どの町に行ったって、どんなに姿を隠したって、母さんって必ず声をかけられて―――」
 思い出す、子供の―――母さんに手を引かれて歩く、ほんの小さなとき。憂いと翳りのある顔を隠しても、それでもぽんとかけられる好意的な声。ありがとう、久しぶり、ありがとう、元気だった、また寄って、もっていきな。笑顔と一緒にかけられた声、嬉しくない筈がなかった。みんなが、誰もが自分の母親を好いてくれてるのだと、誇りにすら思ったのに。
「ゼシカさんだって、母さんに会いたいみたいだった。大切に思ってるみたいだった。オレ、わかるよ、子供じゃない。」
 引き出しの中の写真、白いキレイな馬と馬車、その手綱を操るモンスターのようなもの、ゼシカさんがいて、ふとっちょのおじさんがいて、長髪の長身がいて、ぐるりと囲まれた真ん中に母さんがいる。
 あんなに楽しそうに笑っていたのに、それをすり切れる程毎日毎日見ているのに。
「寂しいくせに母さんなんにも言わないんだ、本当は、母さん、…」
 父さんに会いたいんじゃないの。って、言いかけた言葉は喉奥で詰まって出なかった。会いたいんならなんで隠れてるんだろうって、ぐるぐる出口のない予想と思考は頭ン中でパンクしそうだ。

「母さん、」
 ほら、詰まって言葉は出てこない。どんなに頑張ってみせても出てこない。出したくない。
 オレが母さんを守るんだって言ったって、どうしたって適わない。適わない、人がいるんだ。

「ああ、…クソッ、おめぇはよう……」
 トムさんのでっかい手が、さっきはあんなに強い力でオレを小突いた癖に、今度は優しく頭を撫でる。ぽんぽんと、まるで子供をあやすみたいなしぐさに、子供扱いすんじゃねえ、だなんて生意気は鼻水のせいで裏返った。ぼろぼろ目から汗が流れ出て、コップの中のミルクのかさを増やしてく、まだ全然減ってないのに、ちくしょう。ちくしょう、

「…ちくしょう」

 唇を噛み締めて堪え切れないしゃくり声を意地で飲み込んで。しあわせそうに笑う母さんを想像した。あの、すりきれた写真の中の母さんのように。








2005/9/21  ナミコ