universal gravitation











 優しい気持ちだけに包まれていたんだ。あそこでは。皆が優しくて、大切にしてくれて、私の世界はあの小さな村ひとつぽっちだけで幸せに成り立っていた。世間知らずなんて言われても、別に恥ずかしくなんてないよ。世界はあの絶望の日を境に大きく広がっていったけれど、私の世界の礎はあそこにしかないのだから。

 優しく愛しく思い出をなぞるように、故郷を思い出す。憎しみを忘れたことなどなかったけれど、日に日に大きく育つ疑問を知らないフリして過ごすことももう限界だった。今日殺したモンスターにだって、家族がいたのかもしれない。私は自分の正義のために、何者かを殺めている。

 勇者なんて肩書きがなければ、私はただの殺戮者でしかないのかもしれない。

「なんだ、それは嫌味か?」
「…人の思考を読むなんて、随分と悪趣味なのね」
「読まずともわかる」
「私たち似ているものね」

 対極の双極、とユーリルは思った。光と闇、勇者と魔王、選ばれし者、大切なものを失った者たち。

「でも私、あなたのこと大嫌いなの」
 にっこり、とユーリルは笑った。張り付けた笑みもなにも嘘くさい作り物で。きっとそれはピサロにもわかっているだろう。ユーリルはこうしてよく、なにかと自分を気にかけるピサロに小さく刃を向けては傷つけている。むしろ傷ついて
しまえばいいと思っている。今さら湧いた罪悪感がユーリルを気にかけさせているのだというのなら、それはなんて余計なお世話なんだろう。

「だから、必要以上に話しかけないで」

 冷たく、心が冷えていく。表情の読み取れないピサロの顔が、不意に歪んだのを見た。微かな変化に気付いたユーリルは、それすら忌ま忌ましく感じてしまい、瞳を伏せてあさっての方向を向いた。



***



 あれは少し前の自分に相違あるまいと、ライアンに呼ばれて行ってしまったユーリルの背中を見てピサロは思った。力弱き人間などピサロにしてみれば埖のようだと思っていた。その埖のようなものに大切なものを奪われた。だから世界から埖をなくそうとした、ただそれだけだった。けれどそれは間違っていたのかもしれない。ピサロは魔物で、ユーリルは人間で、ロザリーはエルフだったけれど、決して埖ではなかった。魂ある生き物だった。
 絶望に呑まれた盲目な価値観は、結果ユーリルを傷付けた。ユーリルはそれをわかっているから、ピサロを憎しみのまま生命を奪おうとはしない。

 似ている、けれど。

 ピサロと同じ振る舞いをしないのは、ユーリルが光の象徴であるせいなのか、はたまた勇者故にのことなのか。…そんなことを考えていると、ピサロの目はいつもユーリルを追い、気にかけてしまう。植木を隔てた向こう側のソファで、ユーリルはライアンやアリーナたちと酒を酌み交わしている。こういうとき、仲間達がピサロに対して一線引いているのだとあからさまに感じるが、けれどそれはピサロのしたことを思えば当たり前のように思えた。それに彼らはユーリルを大切にしている。少しでも憂いがなくなるよう先程も、誘い出してここから連れ出したのだろう。あんなにもピサロに対して強張っていたユーリルの冷たい表情も、今はあたたかく解けて笑い声を上げていた。あれは、自分の前ではああも気を許さないくせに、と恨みがましさがこみ上げてくるが、その感情もなにやらお門違いのような気がした。

「まるで恋してるみたいね」
 紫の髪を艶やかになびかせて、マーニャは意味深に笑いかけてきた。

「私が?誰を?」
「あんたが、ユーリルを。…いつも目で追ってるの、分かりやすいくらい分かるわよ」
 ビールを片手に植木の向こう側からやってきた途端、殺風景な部屋にふわりと花を添えられたような雰囲気となった。踊り子というのはなにやら普通の者たちとは些かオーラが違う。それに気付いた宿屋の主人も、ピサロだけがいた時はカウンターに立っていただけなのに、急にそわそわと落ち着きのない様子で広間を動き始めた。

「……………」
「黙ったって無駄よ。あんたにはロザリーがいるって?そう言いたいんでしょ?マーニャさんには全部お見通しなのよ。あんた達って本当に絵に書いたような恋ばなしよね。魔物の頂点に君臨する魔王サマとか弱きエルフの女の子だなんて、あまりに王道すぎてうちの唐変木お姫様だってロマンチックねって言っちゃうくらい」
 立て続けにまくし立てるお喋りは、あっという間に流れていく。まるで轟々と勢いよく流れていく流水のようだ。カタンと音を立て、先程までユーリルが座っていたイスにマーニャは腰をかける。ジョッキに入った金色の飲み物をぐいっと喉に流し込み、機嫌よく笑ってまた言葉を続けた。

「ロザリーに向ける気持ちは純粋すぎるくらい清らかなものなんでしょ?キスとか……それ以上のことなんて望むまでもないような感じ。でもユーリルを見つめる気持ちは正反対っぽいわよね。最初はただの障害物、憎しみの象徴、が一転して理解不能の生き物に。感謝と申し訳なさを同居して見つめ続けた結果が燻った愛憎かしら?いつまでもあんたを憎むユーリルに寂しさを覚えるのは些か自分勝手のような気もしないけどー…だけどユーリルも頑なよね」
「よく喋るな」
「私の話聞いてる?…それとも話を逸らしたいのかしらー?まぁでも、頑なになるユーリルの気持ちはわからなくはないわ。初めてときめいた男性に故郷を滅ぼされ、大切な者は殺されて…、殺したくても殺せなくて、その上恋人のような人までいるんですもの。そりゃあ憎むしかないわよ」
「な…に…?」
 秘め事をほのめかすようにマーニャは口端を上げた。適当にはぐらかして話をうやむやにする筈だったのに、ばらまかれた罠にピサロはうっかり取り乱してしまった。

「不謹慎だからってユーリルは口にはしないけど、経験豊富なマーニャさんには分かるのよ。あれはただ頑なだけじゃないわ。絶対あんたを見ないでしょう、けどあれは拒絶ではないの。……きっと、どうしていいのかわからないのね」

 残っていたビールを全て飲み干すと、マーニャは空になったジョッキをテーブルの上に手放した。ごろごろと転がるジョッキを受け止め置いて、ピサロはマーニャを見る。今にも鼻歌を歌いだしそうなほど機嫌よさげに頬杖をつき、大きく身体をしならせていた。

「………私にどうしろと?」
「別に、なにも。ただあんたには知っていて貰いたいなあって思ったのよ。やりようのない思いを抱えてるのがユーリルだけなんて、なんだかかわいそうでしょ?」
「自分勝手だな…」
「あんたもね」

 けらけらと笑ったマーニャは酒が足りないと言って、また植木の向こうへと戻っていった。楽しげに騒ぐ輪へ加わって一層賑やかな声が聞こえたが、ピサロの目にはユーリルしか映らなかった。不毛だな、と感じた心をピサロは柄にもなく突き詰めて、結局はユーリルのことが気になって仕方がないのだと結論付けた。そして、つまるところその結論へ結びつく感情は。

「………」

 騒ぐだけ騒いで飲んでいたユーリルたちの大宴会は深夜を回った丑三つ時、ライアンとマーニャの決着のつかない飲み比べに痺れを切らしたユーリルが無理やり打ち切って終わりを告げた。その間ずっとピサロはユーリルに視線をぶつけていたが、ユーリルが振り向くことはなく寝室のドアの向こうへ消えてしまった。誰もいなくなった広間で一人、ちりちりと胸を焦がす言いようのない感情を噛み締める。嗚呼。ドアの向こうで少しだけうろたえていたような気配を感じて、ピサロの心は少し、満たされた。








2011/1/15 ナミコ