universal gravitation 2











 あそこにいた人たちはみんな、家族だった。父と母、師匠は兄のようでもあったし、村長さんはおじいちゃんみたいで、シンシアは兄弟のようなものだった。毎日繰り返される当たり前の毎日に、投げ込まれた波紋は異質なものでもあったし、あれはある意味刺激でもあった。怪我をした吟遊詩人だという人は艶やかな白銀の長い髪が印象的な美形だった。師匠も顔立ちはくっきりと整っている方だが、この人はなんというか、きれいすぎるほどに端正な顔つきで、それでいてほどよく鍛えられているであろう体躯をしていたのだからユーリルの胸は跳ねてしまった。

「宿屋にね、吟遊詩人のおにーさんがいたよ。かっこよかった」
 へへへ、と照れくさそうにユーリルは笑って、先程感じた感情をこっそりとシンシアに打ち明けた。秘密を共有するように顔を寄せて話しているのに、シンシアは押し黙って怪訝な顔で口を開いた。
「ダメよ、外の人に近寄るなんて、そんな…」
 ユーリルが想像した反応の、どれとも違う反応をシンシアは見せて、ユーリルを戸惑わせた。ほんのちょっと、話しただけなのにこうも強くたしなめられてしまうとは、思いもよらなさすぎた。

「ちょっと話しただけじゃない」
 ふい、とそっぽを向いたユーリルを追いかけて、正面に回りこんだシンシアはまっすぐ目を合わせて真摯に訴える。
「ダメよ、だって、あの人は……」

 途切れた言葉尻に続くように、シンシアの顔が大きく歪んだ。表情が・という意味ではなく、本当にそのまま歪んでその姿かたちを変えていく。ユーリルの背筋を悪寒が駆け上っていくのを感じた。ほらね、やっぱり。とユーリルは思考のどこかで思った。歪んだシンシアはユーリルに姿を変えて、強く強く訴えかける。
「私を、ユーリルを、みんなを…殺すのよ」





 はっと息を呑んで目を開けたら、真っ暗な部屋の天井が薄ぼんやりと見えた。全身にべったりと汗が張り付いており、少し荒い息を呑んでからユーリルは大きく深呼吸をした。

「夢…」
 怯える様に震える身体、呟いた声も哀れなほどか細く、消え入りそうだった。喉が渇いたな、とユーリルはそろそろとベッドから抜け出した。隣りで眠っているアリーナは呑気に呑気に「最強になる〜…」と呟いており、それがvの気分を和らげてくれた。彼女を起こさないよう最新の注意を払い、ユーリルは部屋の外に出た。
真夜中とはいえ、所どころに置かれたランプの炎が廊下を明るく照らしていた。ぼんやりとした足付きで階下に下りると、カウンターに座っている店主は居眠りをしている様子だった。起こすのもなんだかかわいそうな気がして、ユーリルは厨房へと足を運んだ。食器棚からコップを取り出し、水を注ぐと一気にそれを飲み干す。
汗はひいた、ような気がする。…そんな気がするだけなのかもしれない。水を摂取して、ひとごこちついたユーリルはもう一度大きく深呼吸した。

「あれ、ユーリルさん。起きていらっしゃったんですか?」
「クリフト…うん、まぁなんか、喉乾いちゃって。クリフトも?」
「いやあ、私は…なんというか…」

クリフトは歯切れ悪くそわそわとしている。
「…お姫様に夜這い?」
「なっ?な、な、な?」
「違うの?」
「ち、違いますっ!ユーリルさん、あなたはなんて事を仰るんですか!」
「あはは、じゃあライアンのいびき?」
「いやぁ、そのう…実はですね…あの後マーニャさんとライアンさんが部屋で飲み比べの続きを始めまして…」
「え、まさかあの2人まだ飲んでるの?」
「いえ、飲みすぎて潰れてしまったマーニャさんに水を…と思っておりて来たのですが、少し離れてる間に…そのー」
「2人が良い雰囲気になっちゃってた?」
「まぁ、そんな所です…」
「クリフトも苦労性よね。そんなの知らない振りして入ってっちゃえばいいのに」
「そんなの無理ですよ…」
「あはは、そうだね。そうやって気遣っちゃうのがクリフトのいいとこだもんね」
「はぁ…いつまで待てばいいのやら」
「アリーナのとこ行っちゃえば?」
「だから、ユーリルさんっ!」
「好きなんでしょ?みんな知ってるよ?」

 言葉も出ない様子で顔を真っ赤にしているクリフトがほほえましくて、ユーリルは思わずくすくすと笑ってしまった。けれど、ふと反動のように自らの心を振り返り、その顔に暗い影を落とす。

「ユーリルさん?」

 ユーリル心配そうにの顔を覗くクリフトに、慌てて首を振り何でもないふりをした。
「なんでもない、何でもないの」
「そうですか…」
 納得はしていないだろう、でもユーリルの気持ちを汲んで言葉を飲み込んでくれているクリフトに心から感謝の気持ちを送りたくなる。
 ああ、でも。
「…アリーナやマーニャがうらやましいな…」
「えっ?」
 ふふふ、とユーリルは笑った。ただ、好きな人に愛し愛されて、というそれがひどく羨ましい。好きな人…と言っていいのかもわからない、ユーリルがあの男の事を思う心は複雑すぎて、一言に言いきれないのだ。好きで、嫌いで。ときめくけれど、憎い。幸せになってほしい。殺したい。絶望に突き落としたくて、生きてほしい。あふれるばかり出る感情は次々と正反対の思いを吐き出していく。そもそも、愛されるはずもないのだから。

「さ、明日もあるし、寝なくちゃね」
「そう…ですね。おやすみなさい…」
 有無を言わさぬよう強くユーリルは言い切って、クリフトと別れた。階段を昇っていくクリフトの後はついていかず、コップを流しに置いてからため息をついた。
 こんな気持ちを抱えたままでは眠れそうにないのだけれど。

そもそも、と。ユーリルはあの日、あの花を手にした時のことを思い返していた。

 世界樹の花を手にしたとき、真っ先に頭に浮かんだのはシンシアだった。彼女を取り戻すことができたのなら。そのときユーリルは勇者ではなくただの人としての正直な思いが真っ先に頭に浮かんで、そして次にそれはシンシアのために使うものではないと世界を救う勇者としての思考にかき消された。

 シンシアにこそ使うべきだ、と思いながら仲間達を引き連れてその足はロザリーヒルに向かっていた。冷静に表情こそ保っていたが、始終手に汗を握っていた。いっそこの手の中で潰れてしまえばいいと思った。

 そうして希われた勇者の像は保たれたわけだが、ユーリルの心はただ漠然と虚に近く、その日から深く考え込むような憂いを見せ始めた。
 はじめは腹でも痛いのかとアリーナに言われたが(あれでけっこう人を見ている…稀にだけど)、もうすぐ旅の終わりも近いから、と言えばそうかと簡潔な言葉が返ってきた。思えばおおよそ誰しもがわけあって旅出たのだ。その終結ともいえるものを目前にしたら、誰しも感慨深くなるだろう。それからなんとなく仲間内にそんな雰囲気が漂ったおかげで、深く追求されることは免れた。
 ユーリル自身、ときどきひどく鬱になりそうな時だってあるのだ。運命とか、血だとか、初めは選ばれたんだってことに嬉しかっただけだ。剣を学んで、呪文を覚えて、でも平和に暮らしていた。それなのに。

 
 悲しみと憎しみのなれの果て…あの男…ピサロの、哀れな姿を見たとき、ユーリルはまるで鏡を見ているかのような気分になったのだ。憎しみか、人を想う心か。それだけでユーリルは勇者にもなれるし、そして悪にもなれるのだ。
 だからあの姿のピサロを見て、世界樹の花をロザリーに添えてやろうと思ったのだ。ユーリルはシンシアや大切な村の人たちが託した世界があったけれど、ロザリーを失ったピサロにはなんにもないのだ。
 かわいそう、と思ってしまった。
 だからユーリルは折角最奥まで来たと言うのにわざわざ引き返してロザリーを連れてきたのだ。誰か大切な者を思う心に種族は関係あるだろうか。…きっとないはずだ。だからユーリルは最後の最後でピサロに救いの手を差し出してあげれたのだ。ただ(シンシア、ごめんね)、とシンシアや村の人たちの命を奪った男に手を差し出してしまったことに、罪悪感を覚えたけれど。

「シンシアが、好きだったんだ、ほんとうに」

 それはたぶん憧憬のようなものだったけれど。記憶の中の彼女はまだ鮮明で、彼女の笑顔だとか振り返るときに揺れる髪の流れ方だとか声やにおいすらはっきりと思い浮かべることができるのに。
 けれどそれはいつか霞みがかってぼんやりとしてしまうのだろうか。そう思うとひどく悲しくなった。忘れない、忘れてはいけない、彼女を、村の人たちを、失った痛みと憎しみを。ピサロに抱いた気持なんかにかき消されてはいけないのだ。

 胸を苦しめる感情にひとり嗚咽をかみ殺して、暗い夜が明けるのユーリルはひたすら待った。







2017/7/22 ナミコ