C l a r a






 大陸の中心にアスカンタ城があるのに、城下町は城と一緒にあるせいか、ここからあそこまではひどく離れていた。大地と緑の豊かな土地のせいだろう、心穏やかで優しい王に治められた大地はどこまでもしあわせだった。ひろいひろい大地の端に、父は領主として鎮座していた。似ても似つかぬ王と父は、それでも遠く縁のある血筋だと聞いたことがあった。子供から見ても見目麗しい父は、父に遅れを取らぬほど美しい母をこよなく愛していた、と思う。母を愛していると同時に、すべての美しいものをこよなく愛してもいただろうが。領主であるにもかかわらず、いささか軽薄で軽率な父に母はしょっちゅう溜め息をつかされている。
 また、今日も。
 ふぅ、と息をつくように溜め息を吐く母の目はいつも寂しげだった。あんな父でも愛しているのだろう、いつもいつも最後には許してしまう母の寛大さがオレには分からなかった。母から譲り受けた銀糸と目の色、そしてふたりの遺伝子を色濃く告いだ端整な顔つきは、子供があまり好きではないと公言していた父からでさえ格別な寵愛を受ける礎となったが、それにも関わらずオレは父があまり好きではなかった。昔は、好きだった、かもしれなかったけれど。

「義母様、飾りつけは私達がやりますので、お休みになられたらどうでしょうか」
 小さなカボチャを手にしたままぼうっとしていた母に、疲れているのでしょう、と。労わりの声をかけたのは、オレの腹違いの兄だった。
「そう、ね。そうさせて貰えるかしら…ごめんなさいね、ククール、マルチェロ」
 おぼつかない足取りで母は階段をあがっていく。疲れているのも無理はない、夜遅くになって帰る父を、それこそ仕事なのかそうでないかもわからないのに母はいつまでも待ち続ける。それが領主の妻の仕事だと言いながら、それでもひそかに母は望んでいるはずだ、いつか父が目を覚まして自分だけを愛してくれるときが来るはずだと。そんなふうに父が殊勝に生きてくれるなら、兄が生まれたときにとっくに気が付いているだろうと思う心は、一生心に閉じ込めておくつもりだけど。疲れて鬱になりそうな気持ちを少しでも晴れやかにしたくって、ハロウィンの飾りつけもお菓子作りも全部母が携わっていたのに、今日は、父は帰って来るだろうか。

「どうした、硬いのか」
 手元を覗く、兄の顔。オレのもつ青よりよっぽど青が似合いそうな腹違いの兄は、母にもオレにも優しい。優しいけれど、どこか一線を引いたようなものをいつも感じていたけれど。力を込めすぎて赤くなった指先と、銀のスプーン。小さなカボチャだと言うのに、なかなか完成が見えない黄色い塊を、兄は掌で持ち上げてオレの手のスプーンを持ち、「コツがあるんだ」と器用に中身をくりぬいていった。

 兄のことを父の過ち、と古参のメイドが言っていたのを覚えている。過ちとはなんだと、怖くて辞書すら引けなかった、子供の頃。知らない言葉を理解していくことが好きだったのに、なぜ、と思いながら本能的にそれを回避した子供の勘とでも言えばいいのだろうか。今ではわかるその言葉だけれど、あのメイドは随分前に辞めてしまったからもう追求することも責めることも出来ない。たとえ起因が父にあるにしても、兄にはなんら罪もない。母が変わらず平等にオレと兄とを愛しているのがその証拠だろう。母は父を許し、兄を受け入れた。兄を産んだメイドだけは最後まで許さなかったみたいだったけれど。

「ホラ、こうしてやるんだ」
 キレイにくりぬかれたひとかけらを兄はボウルの中に入れ、カボチャとスプーンを差し出した。ハッと我に帰ったオレは、「ありがとう」とそれを受け取り、再びカボチャに突き立てるスプーンに力を込める。コツなんていうけれど、ただ、やりやすいように切込みをいれてくれたんだ、この人は。

 無心に中身を取り出すオレを見て、兄は黙って自分も同じことを繰り返す。今年で17になる兄には、もうハロウィンなんて年頃でもないだろうに、それでもこうして根気よく母とオレにつきあってくれているなととりとめもなく思いながら、いびつにざくざくと微かな音が響く部屋の中でオレは思った。



 ハロウィン用にと作ったさまざまな形のジャック・オ・ランタンを玄関の外に並べた。広い高台に立った領主の私邸は船着場から見て左側に位置する。そして右に街と領主の屋敷がある。私邸と仕事をする屋敷とをわけた父の手の込みように閉口もするけれど、それでも母をおもうほんのひとかけらの気持ちがそうさせたのだと思う限りは笑ってとどめられる。少数の民家のほとんどは共に民宿を経営し、生計を立てている。巡礼街道の間にある街だから人のとおりは多いいし、イベント好きな民のことだからきっと向こう側もハロウィン一色に飾り付けられているはずだ。3日後に控えたハロウィンを目の前に、子供達は心躍らされているだろうな、と思う。昨日街に遊びに出たときに、広場で早々にも衣装を見せ合っていた。どれもこれもまだ縫いかけで針もまだとってないような衣装を持ち出して、でも嬉しそうに、帰ったら怒られるってわかってるのに、それでも。黒い魔女の衣装を肩に当て、くるりとまわったシェリー。そんなことしたら針が飛んでしまう、なんて忠告聞きもしないで嬉しそうに、嬉しそうに、裾がいびつにずれていくのも構わないで。楽しいことはみんな好きなんだ、オレンジパープルブラック、それから光とお菓子。母も、きっと笑ってくれる。

「夜になったら蝋燭に火を灯さなくてはな」
「うん」

 兄の背中を見ながら、玄関をくぐる。閉じた扉から入る冷たい風、扉が閉まれば空気の流動は止み、ふわりとした空気が夕食の香りと共に香った。