C l a r a






「お前のハハオヤとか、心配してんじゃねぇの?」
「うーん、と。だいじょーぶ、だいじょーぶ」
 にへら、と笑っただらしない口元に、本当かよ、なんて言葉は飲み込んで道を行く。ジャック・オ・ランタンの並ばない、ジャックのランプの帰り道。この道を抜けるまでは手の内の灯火と、月明かりが唯一の光だ。暗い暗い暗所の道を、お化けはふたり。
「暗いから気をつけて」
 馬車道だからなにかに足を取られて蹴躓くなんてことはないと思うけど、真っ暗な世界は裏表ひっくり返したみたいに違う世界に見えるときがある。その道を毎日見ていて知っている人だって、さ。だからオレは何度も後ろを振り返る。白いお化け、お化けの布を被った子供が迷子になりやしないか、暗闇にはぐれてしまわないかを気にして。
「だいじょーぶ、そのランプが目印になるし」
「そうか?」
 おぼつかない足取りで本当についてこれる?足の歩幅だって違うし、オレと違って慣れない道を歩いてるくせに。
「そんなフード被ったまんまだから見にくいんだぜ」
「あっ」
 目深に被った白いフード、横から手を伸ばして引っ張ってやれば露になる黒髪。真ん丸の、黒い目。ジャックのランプの炎を写して、その真ん中はオレンジ色に揺らめいていたけれど。ああでも、黒髪黒目のこんな子は、本当にドニにいるのだろうか。決して特別キレイでもなく、人を惹きつけるような容姿をしているわけじゃないのに、目が離せないような、不思議な魅力、というのだろうか。異国のものを目の前にしているもののような気分。

 
本当に、ドニの子供?

「ちゃんとついてこいよ」
 暗い道抜けけば木々か生い茂る場所、そこは屋敷の明かりが漏れてランプがなくたって歩けるほどだったから、もうだいじょうぶ。足取りを少し早くしても、振り返る回数を減らしても、平気。ぐるりとまわる馬車道でなく、細い坂道をあがっていけば、もっと早く家の扉につくことができるから。
「あ」
 広い丘に目を奪われる子供の手を引いて、玄関へ向かう。月と星とそれに照らされた丘がきれいだろう、扉を叩くほんの少し前、振り返って一緒に見惚れた。眼前にめいっぱい広がる丘、昼は太陽の光に照らされ夜は月明かりに照らされ広く広く美しい光の丘は強い輝きと優しい輝きを一身に浴びていつまでもこの姿を保っていた。今までもこれからも。船着場からの左右に父が拓けたサン・ドニの、こちら側がいつまでも私邸だけであり父のものであるのは美しいものをこよなく愛する父の嗜好がここにもちらりと見え隠れするのだ。美しいものをずっとその手の内に入れておきたいという心だろう、望めば広い領地を腕に抱くこともできるだろうに、あわよくば欲の強い者であるならば、一国のそれと同じようなものを望めるかもしれないのに。父はなによりも美しいものに貪欲だ。愛している。

 コツンコツン

 金属の触れ合う音に見惚れていた意識は取り戻されて、こちら側。父の愛する美しいものが整然と詰め込まれた家に帰ってきたオレはひとり、子供をつれてきたよ。つかんだままの手はそのままで。
「お帰りなさいませ」
 一呼吸、ぐらいの間だった。すぐさま開いた扉はあたたかな証明の光を漏らしてメイドの一礼と共にオレと子供を迎え入れた。「いらっしゃいませ」とってつけたような声と笑顔が少しの戸惑いを含んでいたけれども。子供はにこりと笑ってほんの少しだけ強く、握られていただけの手を握り返した。

「お帰りなさい、ククール」
「ただいま戻りました」
 廊下の奥の、恐らく父と兄が待っているだろう部屋から、母は現れた。昼間の衣装とは違い、色直しをした明るめの色の衣装は母の少し高揚した気分を表しているようだった。嬉しいのか、父がいることが。それとも今日がハロウィンだからなのか、それとも珍しくオレが家族以外の誰か―――所謂友達というものをつれて来たことなのか。
「はじめまして、来て下さって嬉しいわ」
「……はじめてお目にかかります。エイトと申します」
 頬に朱をさしながら、子供は律儀にも丁寧に頭を下げた。その一貫の行為に目を見開いたのはオレだけではなかった。母もさっき戸惑いがちに子供を見たメイドもまた、まぶたを瞬かせて子供を見る。黒髪黒目の不思議な子供に目を引かれているのだ。
「まあ、小さいのにとても礼儀正しいのね。お菓子はいかが?」
 いかが、と聞きながらにも母は既に手にしていたお菓子を次々と子供の手に乗せていった。チョコレート、キャンディ、ジンジャークッキー、マシュマロ、カボチャのマフィン、パイ、お菓子に溢れて顔の半分を隠しているって言うのに、まだ。
「母様、そんなにたくさん渡したら…」
「あら、いやあね、私ったら」
 くすくす笑いが心地よく廊下に響いて、お菓子に溢れた両腕の中で半分顔を覗かせながら子供は同じようにくすくす笑った。
「ありがとうございます……」
 それはとてもとてもうれしそうに。

「お夕飯はまだ?食べていく?」
 一瞬大きく開いた口はすぐに真一文字に引き結ばれて、紅潮した頬と一緒にぶんぶん左右に揺れた。髪や服と一緒に、左右強弱がかかって聞こえる声「いいえ、充分ですから」すっかり恐縮しきっている子供は子供らしからぬ言葉を発している。その動作はまるきり子供みたいだというのに、その相反した相応さに戸惑う。
「帰るのか?」
 繋がった手を離さない。帰るな、とことほかに言っているのだ。けれど、
「帰る」
 にこり、と子供は笑った。まるで自分の相応さをわきまえる大人のように、子供は握っていたオレの掌を指から離していく。オレの指が諦め悪く子供の掌を掴んだままでいる、それだけだ。
「ええと…たくさんのお菓子、ありがとうございました」
 子供はオレから母に目をうつし、小さいながらにしっかりと頭を下げた。白い布が揺れる。ざっくんばらんの裾なのに、見慣れないその生地はとても着心地がよさそうだな、とぼんやり思った。
「ありがとう」
「…………」
 真正面に向き合った子供は、頭ひとつ分の背丈分だけこちらを見上げて待っている。こんな、自分よりも子供の手をいつまでたっても離したくないだなんて、まるで子供みたいな心情に少し戸惑ってそれでもオレは自らそれを手放そうとは思わなかった。もしもこの手を振り払われてしまえば、諦めることも出来たのに、そうしてくれないからいつまでたってもしがみついてしまうのだ。
「ククール、手を離して差し上げないと帰れないでしょう?」
「………う、ん」
 自発的に離したかったわけでもなく、手を振り払われたわけでもない。優しく諭された母の声が無性にさみしくて、いたましいと感じた。どうしてこんなにも離れがたいと思うのか、父でもなく母でもなく兄でもない、見ず知らずの会ったばかりの子供に。

「暗いから送ってく。ね、いいでしょう?母様」
 ぴったり吸い付いたように離れなくなってしまった、そんな昔話があったと思う。それは掌のことではなかったけど、少し滑稽でしあわせな笑い話。あのグリムの話みたいな顛末を願っても、指から力を抜いてしまえばすぐにでも離れてしまいそうだから、はなしたくないと、そう思って。

 繋いだ手をそのままに、ジャックのランプを持ってもう一度、来た道を戻っていったんだ。