愛鳥主義







 もう何週間たっただろうか、我輩を取り巻く環境はあいかわらず悪化していく。
 すでに常人には想像もつかないだろう世界に立っているようだ。
 
 言葉で表すことはむずかしいが、クローゼットからローブを取り出そうとすると向こう側は雪景色だ。我輩のクローゼットはナルニアの王国に続いていたらしい。10年以上使っていたが知らなかったな。
 そして部屋を出れば暗い地下楼で金の懐中時計をもった白いウサギを見つけ、授業中にはビーカーに満たされた薬品の中で溺れる人魚から恨めしい顔で睨まれる。
 空には絶えず“6色”の虹(……ああ、吐き気がこみ上げてくる)がかかり、月はウォルトディズニーの構築した世界ように、太陽はテレタビーズの番組制作スタッフが赤ん坊の顔とイラストをCGで合成したように表情を持つ。
 
 我輩はファンタジーの世界に住んでいる。フランツカフカの描く世界よりも理不尽で、タカマガハラよりも美しい世界でどう活動すればいいのか。我輩という人間性にとても場違いなような気がする。


 大昔にギシシャで流行ったエウリピデスという男の描く演劇は、芝居の中の人物達がお互いに自分達の主張をして、彼らの世界がにっちもさっちもいかなく混乱すると、天から(正確には劇場の天井から)神が下りてきて、彼らの世界の交通整理のような事をしてくれるのだそうだ。
 この強引な展開の結び方をデウス・エクス・マキナという。機械仕掛けの神という意味だ。
 
 誰か我輩の世界も整頓してくれ。と最近、心の底からそう願う。人類とはなんて他力本願なんだ。
 ちなみにその悲劇詩人はマケドニアで犬に喰われて死んだ。
 
 
 我輩の人生は優秀な作家による計算された最期を迎えることはないだろうが、ついに今朝、劇的な変化を目にした。
 いつもと変わらない、二足歩行の亀が釣りをしている洗面台で顔を洗い、朝食を取ろうと黄色のレンガが敷き詰められている廊下を通り(ちなみにエメラルドシティには通じていないし、我輩は赤い靴も履いていない)、ホールの思いドアを開けると、ホグワーツの学園生徒全員の背中に羽が生えているのだ。

 めまいを起こし、ぐらりと揺れる体をどうにか保たせて、席につく。
 突発的な感情を押さえなくては、「感情の行動化をしてはいけない」と本を書いたマグルのセラピストも言っていた。
 素数を数えよう。これは幼少のころから通っていた近所の教会の裏庭に住んでいた、自称エジプト出身の神父(しかし、「社会的な義務と権利を勇気をもって捨てて、自由に生きる事を選んだ人」または「金銭的なハンディキャップを持っている人」と我輩は呼んでいた)に教わったもので、自身の数のみでしか割り切ることのできない孤独な数を数えると、気持ちが落ち着くそうだ。
 その神父はある日突然、姿を消してしまったのだが、どこへいってしまったのだろうか、と我輩は大いに彼を心配し、また唯一、哲学やら思想やら女の子の体やらの議論を対等に交わせる相手を失ってしまったことを悲しんだ。

 しかしその後、3週間あとの金曜日に「自立を助ける福祉団体・すずらん会」の炊き出しで再開することができた。幼い我輩は暇つぶしの相手を失わずにすんだことを神に感謝した。ちなみに我輩が神に感謝したのは、その時だけである。
 それにしても福祉協会の名前はどうして「ひまわり会」やら「マーガレット会」やら安全で平凡な名前ばかりなのだろうか。

 さて、1、話しと思考を現在のホグワーツへ戻し、2、3、5、7冷静に状況を観察しようではないか。
13、17、どうやら生徒個々に生えている羽の種類が違うようだ。19、31、61、89、(ああ、もう落ち着いた)鷲のように猛々しい翼を持つものもいれば、ヒバリのように小さな羽を持つものもいる。
 そのなかでひときわ目立った羽が……ハリーポッター。黄金色に輝くビロードの翼は、さしずめスフィンクスのようだ。最初が4本足で中が2本足。最期は3本足の動物はなんだ。なんだの最期はなんだ……97、101。
 
 
 さて、たとえ我輩の視神経と脳が沸いていても、時計の針というものは、いつもと変わらぬスピードで追い立てるものだ。ひとまずここはマクゴナガル女史やダンブルドア学園独裁者様にまで羽が生えていないことを神に感謝しよう。とくにロックハートの翼などは、ハリーポッターの比ではないくらい眩しそうで目がつぶれてしまいそうだ。
 そして、ティーンエイジャーに向けに作られた脂っぽい朝食を取ろうではないか。大食漢の大馬鹿者は掃いて捨てるほどいるが、我輩とてカロリーを摂取しなくては、ろくにものを考えることもできない。


 ぬるくなったオートミールを口へ運ぼうとすると、例によって溶けたパンで満たされているスプーンの中で、ミニチュアサイズの虹色のマスが泳ぐ。グリム童話ならば魚を見逃してやれば女神に変身するだろうが、気にせずに食べた。

 ふと顔を上げると、目の前を薄汚れた灰色のホコリのようなものがふわふわと横切る。
 フクロウの羽か、と不衛生なホールに悪態をつきかけたが、どうやら違うようだ。
 となりの椅子に座って朝食を貪っている同僚のスープ皿に羽がひらひらと落ち、それを気にせずに彼は食べた。いくらなんでもフクロウの羽くらいは避けるだろう。いくら彼でも。
 それならばこの羽毛はどこから飛んでくるのか。
 あたりを見回すと、さらに数枚の羽があたりに漂っている。そのうちの一枚に手を伸ばすが、羽は手を避けるように別の方向へ流れていった。ああ、所詮この羽も幻覚なのか。触ることはできない。我輩はそう悟った。

 そして羽に触れようとほとんど無意識に手を伸ばしたことに驚く。いままでの幻覚にはなんの興味も湧かなかったのにだ。
 それでよりいっそうその羽に興味をもって周囲を見渡すと、若々しくつややかな翼のひしめくスリザリン寮のテーブルの中で、一対だけ稀有な羽根を見つけた。
 誰よりも大きな翼だが、すりきれたようにぼろぼろで、関節は軋むようにぎこちなく動く。色はもともとは白かったのか、それとも最初から灰色なのか。とにかくみすぼらしく汚らしい色をしていた。ネズミの毛皮だってもう少し高級な質感をもっている。そんな印象を受ける色だ。

 いったい、あの生徒は誰だ、と目を凝らす。教師用の席からでは顔を見ることができなかった。
 しかし、灰色の羽をもつ背中がくるりと裏返った。また大量の羽が抜け落ちた。振り返った一対の目が我輩を見る。見覚えのある目だ。あれは……

 
 彼女は変わった生徒で、授業中やホールでの食事中にやたら目のあうことの多い生徒だ。授業中に生徒が教師の話しを聞くために注視することはあっても、それ以外の時にまでとは、まったくどういうことなのか。
 そしてのもっともめずらしい点は、目が合ったらそのままずっとこちらを見返してくることである。

 大抵の生徒は気まずそうに目を伏せるか、あからさまに他所に目を向けるかどちらかである。
 しかし彼女は目をそらすことなく、我輩の頭蓋骨の裏側から何かをひきずり出すかのように、凝視するのだ。睨むわけでも、笑いかけるわけでも、とにかくよくわからない表情でずっと我輩を見つめつづけるのだ。これは自意識過剰でも被害妄想でもない。はっきりとした事実で、理由はまったくわからない。
 その視線に気づかない振りをしながらも、居心地が悪くなり先に目をそらすのはいつも我輩のほうで、そのあとも彼女は我輩を見ている。

 いたたまれなくなって我輩はから目をそらした。
 彼女の顔を見ていられないという理由のあったが、何よりあの灰色の羽を見ていたくなかった。
 伏せた目の視線の先では、テーブルに落ちた薄汚れた羽を小人が指を刺して笑っていた。










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素数など、おぼえてられるものか。
素数を数えたらカエルまみれになるでよ。
や、カエルが降ってきたから素数なんだ。ウリイィィィィ。

2004/9/19   トラ