髪結いの痩せ亭主




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 数時間後、目を覚ましたに熱いカップをわたし、まとまらない実験の工程表をデスクの端に寄せ、ついでに自分も紅茶をすすった。
「上手ですね、お茶入れるの」
 両手を暖めるように包んだ磁器、ロイヤルドルトンのソールズベリーを膝の上に置き、彼女は微笑んだ。
「べつに普通だ」
 は黙った。我輩も黙っていた(我輩どうやら場の空気を冷めさせることと、はずまない会話は得意のようである)。

「あれは?」
 は紅茶の味についてこれ以上喋ることはあきらめたらしく、部屋の隅に放置されている羊皮紙の切れ端を指差した。
 基本的に整頓されている我輩の部屋のなかで、唯一、無秩序な置き方をされている羊皮紙はたしかに不自然で、彼女の気を引くにはじゅうぶんだったようだ。
 あれは何であったか、と比較的最近の記憶を探る。たしかあれは、今日の授業中の出来事だ。
 我輩の脳はほぼ逝っているが、職業柄か記憶力はあまり衰えていない、幸いなことに。

「ああ、あれは……」
 どういうことが記されている羊皮紙なのか、しっかりと記憶がある。しかし、彼女に説明していいものなのか。

 最近、は放課後になると我輩の部屋へ通っている。我輩に対して悪意を抱いている生徒達から見れば、それは陰口をたたく絶好の機会だ。
 本当に、彼らは我輩が芝生を踏みつけただけで「無神経だ」「冷たい」「草花へ対する愛情が無い」「悪魔だ」などとコソコソ言い合っている。たぶん、我輩の咳すら彼らは気に入らないのだろうな。
 人を嫌うということは、そういうことなのだ。相手が何をしていても気に食わない。

 つまり、どうやら我輩はに理不尽な罰を与えていると思われているらしい。まったくもって、事実は逆に近いのだが。
 そして生徒というものは、授業中に小さな手紙を回す事を好む。あの羊皮紙をめぐる事情は、大体そんなところだ。ある種の腹立たしい事とは説明することすら面倒なものだ。

「……別に、なんでもない」
 ただのゴミだ。とつぶやき、杖を振って部屋の隅のゴミ箱へ放りこんだ。
「知ってるわ」
 紙切れが宙を横切るさまを横目で見ていたが事も無げに言う。
「先生が私のこと、いじめてるらしいの」
 彼女は笑った。「みんな噂話が好きみたい。大抵のことはまちがってるけど」

「できれば否定して欲しいものだな。我輩、生徒に嫌われることには慣れているが、あまり好ましいことではない」
「“ちがうの、私は先生にいじめられているんじゃないの。先生が私を薬で眠らせてくれるの”って? それこそ歪んで広まるわ」
「……では、何も言うな」
 は楽しそうに笑っている。いったい、何が楽しいというのだ。
「あと、もうひとつ、知ってますか?」
「なんだ?」
 はソファーの前に、我輩と彼女のちょうど間に置かれているローテーブルの上に行儀正しく置かれているソーサの上にそっとカップを置いて(実際、彼女は少しの音も立てずに置いた)こちらの顔をみてふくみ笑った。

「先生と私が、うわさになってる」
「なんのことだ」
 要領を得ないの言葉にいぶかしげな顔をしていると、彼女は胃の奥からも笑みがわいてきてしょうがない(ちなみに我輩の胃からは胃液しか出ない)といったような顔で笑っている。
 その笑い方ですべてを直感した。我輩のそのような時代は過ぎ去ってしまった。しかし今でも若者の多く所属している学校に勤めているゆえ、そういった類のうわさはつねにあたりに充満している。知っているか?男女の関係すべてを恋愛関係に当てはめてしまう者は欲求不満だそうだ。

「……誰がそのような、根も葉もないことを」
「さあ。私が寝起きみたいな顔で先生の部屋から出てくるからかもしれませんね。……実際、寝てるんですけど」
「バカな事を」
 どういうつもりでがそんな事をわざわざ我輩に平然と告げるのかは解らないが、不自然であることには変わりない。
「それでいいのか?君は、」
「どういう意味ですか?」
 彼女は平坦に、感情のこもってないような声を発する。の顔を見る勇気が我輩には無い。臆病なのだ。我輩はこれ以上自分の人生を複雑にするつもりは無い。今だけで精一杯である。
 しかし、我輩の答えを待たずに、は容赦なく続ける。彼女の羽も容赦なく舞い散りつづけている。
「それは、私が先生に相応しくないってことですか?それとも逆?」


 我輩は何も言うことが出来ずに、ただ黙っていた。
「我輩はこたえることができない」
 ようやくそれだけ言った。は少し考えるように黙り、そして意味ありげに復唱した。
「“こたえることができない”」
 
「それは、私の質問に”答える”ことができないんですか?それとも、私の気持ちに”応える”ことができないんですか」
 ようやくの顔を見ようと顔を上げるが、ロウソクの灯りのみでは満足に表情を読む事ができず、彼女が笑っていたかどうだか確認する前に部屋を出て女子寮へと続く廊下を歩いていってしまった。の本物の寝室、しかし彼女はそこでは眠ることができないという複雑な属性を持った部屋。
 は眠れないベットの中でも言葉をこねくりまわしているのだろうか。

 生徒の疑問の回答を“答える”ことが教師の役目ではあるが、彼女の投げかける質問の大多数は魔法薬学とは関係ないもので、我輩の専門外である。は質問が多すぎる。

















 

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スネイプ先生が「恋愛」とか言ってる時点でありえない。



2004/11/7   トラ