天使の骨 その翌日もはやってきた。何事も無かったかのように。 ソファへ腰をおろし、薬を飲み。そして今現在はやすらかに眠っているの顔を見る。 薬を飲まなければ眠れない子供。この子供はなにをストレスだと思って睡眠障害をわずらっているのだろう。 子供は周囲の人間すべてから心配されている。マダムポンフリーは彼女のために専門書を読み、我輩は彼女のために先日よりも薄く作った薬を与え、部屋を貸す。その部屋で我輩は仕事をする。雑務、沢山の生徒のほとんど読むに価しないレポート。まとわりつく幻覚、見たくないものが多すぎる。 は寝息を立てている。我輩が生きていく糧を得るために必死に仕事をこなしている部屋で。 彼女と我輩の相違点は何だ。 デスクを押しやるように椅子から立ち上がり、ソファを見下ろす。 はこの世の中に自分を傷つける人間がいるということなど知らないような無垢な顔で寝ていた。うつぶせに寝ていて、片方の頬をソファーの座面にくっつけていた。薄くあいたくちびるのすきまからはかすかな寝息が漏れている。小さい子供のように膝を抱えるように丸くなっている。その丸い背中からは不自然に羽が突き刺さっているようにはえていた。 彼女の首の後ろに手を乗せた。片手で締めてしまえるほどに細く白い首筋だった。いったい何をしているのかと自分でも思う。髪の毛がさらさらと流れるように動いた。手を退こうと思うが、なぜかそのまま背中へと手のひらをすべらせた。 薄汚れた羽根のかさかさとした手触りを感じる。薄汚れた羽根のかさかさとした手触りを感じる? その瞬間に驚いて反射的に手をどけた。 幻覚に手を触れている。 我輩の脳の中で作られた幻影に手を触れている。 もう一度手を伸ばす。 相変わらずの背中からは羽根がはえている。 その羽根の根元から羽の先まで手を滑らせる。まったく艶やかとはいえないかさかさと渇いた手触りにおどろいた。2、3枚の羽根が抜ける。 それでもは目を覚ます様子もなく、熟睡しているように見えた。 もう一度羽に触れる。 片方の羽根の根元を握る。大きな翼に対して付け根は片手で握れてしまうほど細かった。 力を込めて握る。薄い皮膚に包まれた骨がきしむ。 そのまま力を入れて、折った。 関節の外れる感触がきもちわるかった。そしてごとりという重い音をたてて片方の翼は床へ落ちた。 あっけないほど簡単に骨は折れた。もう手には何の感触も残っていない。ただ骨は折れ、床に落ちた。 不意に彼女が目を開けた。 首をひねり、我輩を目で探しているようだ。すぐそばに立ちすくんでいる我輩を不審に思ったのか、少し眉根をよせて、いつものような心の奥にまで染み入るような目で我輩を見る。 何かを咎めるように、責めるように。何か確信的なものが見えているかのように。 寝ぼけているのか体の動きはゆっくりとしたものだが、目つきだけはしっかりとしたまま、完全に身体を起こし、ソファーに理想的な形で座りなおした。 「何も言わないでくれ。口を開かないでくれ、何も言わずに部屋から出て行ってくれないか」 彼女は一瞬なにかを言いたげにまばたきをしたが、無言でうなずき、そばに畳まれて置かれているローブを拾うと、部屋から出ていくためにドアノブに手をかけた。 一度だけこちらを振り返ったが、しかし結局何も言わずに今度こそ出て行った。折れた片翼をのこして、片方の翼だけをぶらさげて。 それから彼女が我輩の部屋にくることはなかった。 それから我輩の世界に再度大きな異変が現れた。 すべての幻覚に触れるのである。すべての幻影に物理的な力を加えることができるのである。 とはいっても、小人や翼やその他の物が物理的に具現化したわけではない。ただ我輩の中の幻覚に対する概念というか、視覚と脳内の処理方法というか、ルールが変わっただけだ。 アルコール中毒者の見る幻覚に近いのではないかと思った。彼らの見る幻覚は非常に凝ったもので、実際に(本人は)触れる(と認識している)し、声も出るのだという。 つまり相変わらず幻覚は一般的な世界には存在しないし、ノーマルな世界への影響はまったく無い。これは小さな一歩だが、我輩にとっては月についた風化しない足跡よりも大きな一歩だ。幻覚を破壊することができる!破壊することができる!すべて消してしまえばいい。我輩にはそれができる。 まず、すべての小人を踏み潰した。試験管の中で泳ぐ人魚を鍋で煮た。ベットにはえているクローバーはすべて引っこ抜いた。生徒にはえている羽根はジェイソンかミザリーのように叩き折ってまわりたかったが、それではあまりにも不自然なので(なぜならその幻覚は我輩にしか見えていないのだ。だから生徒の背後で斧を振り回すわけにはいかない。残念ながら)杖で魔法をかけて焼き払った。 燃える翼を背負って歩いていく生徒の群れはなかなかの見ものだった。 我輩の部屋は幻影たちの死体であふれかえり、そのすべてを燃やした。 炎の中で小人達はすでに死んでいるのにもかかわらず笑い、踊り、歌った。だがそれも数分のことで、すぐに酸素と化合し、炭素になった。我輩はその炭を箒で集めると窓の外へ撒いた。 しかしの背中から落とした翼だけは燃やすことができなかった。 何度 火をつけようとも、翼は炎に包まれるだけで形を止めたままだ。そして悪いことに、翼は炎にあぶられるたびに色を変えていった。最初は薄い水色、その色はだんだんと濃くなり、今は目のさめるような青い色をしている。 暗い色の者が多い我輩の部屋の中でそれは異彩を放ち、見るたびに彼女を思い起こさせた。 今夜も頭を抱えてのものだった翼を焼いていると、ドアを叩く音がした。最近、どうも来客が多すぎる。いつもトラブルは礼儀正しくドアをノックしてやって来る。 あけなくとも来訪者が誰なのか解る。だ。 → 2004/11/9 トラ |